大変な世の中です

こんばんは。

みなさんいかがお過ごしでしょうか。

昨年に引き続き未知のウイルスが猛威を振るっています。
さすがに最早未知などと言っていられない状態ではあれど、
わからないことの多い現象が世の中のあちこちで起こっています。

それは世界のこと、わが国のこと、ときには一番身近な人のこと、
コロナ禍によって様々な障壁が浮き彫りにされました。

私もこの1年間色々なことがありました。
今まで会えていた人と会えなくなった、今まで見ていた景色が見えなくなったことによって、
結果的に、皮肉にも中学生以来の「自分探し」をしていたように思います。


子供から大人になろうとしていた当時は、鬱蒼とした森の中で”なぜ樹々の景色は緑色なのか””自分には緑色に見えているだけで本当は違う色なのでは”という問いを延々と考えているような感じだったけども、
今回のはなんというかもう砂漠。
周りに建物も植物も泉もない、砂漠。
砂が砂の色をしていることにはもう疑問を持っておらず、何の目標もなしに歩き続けて、どうして自分はこの方位を進んでいるんだろうと思いながら、わからないけど進み続ける。そんな感じ。

私の家族にも様々なことがありました。
それは大きな影を落とすようなことでした。
いえ、もっとも私の家族自体がもともと、沸騰する底なし沼のような存在だけども、
その沼の温度がやっと、大きな影がもたらされたことによって、波を打たないくらいにちょうどよく冷めたのです。


時について考えました。


歩いても歩いても、砂漠の景色は変わりません。だから、時が経っていることを忘れていたんです。
時は誰にも平等に流れると言います。
自分がどこに行っているのかよくわからないまま、それでも歩くことをなんとなく楽しんでいる、そんな自分が持っている時間と、
例えばどこか遠くに住む、病に伏している人の一分一秒、
例えば今でも夢の中に幽閉されている、心のすべてがとんがった過去の自分の刹那、
当然ながら重みは全く違う。

自分が握っている時間が空気のように軽かったことに気づいて、少し戸惑ったりもしました。
今でも戸惑っています。

どこまで行っても砂漠から出られないけど、歩けることに感謝している、ずっと歩いて行ける気がする、
そんな気持ち一つ身に纏っているだけでやっていけているこの時を、大事にしてあげようという気持ちでいます。